VOL.9『神と悪魔と火星人』
こう毎日毎日暑いと、なかなか昼日中に外で遊ぶ気にはなれない。帰ってきたら、まちがいなく煮豚になっている。
それでも私はクーラーをあまり使わない。風に揺られて涼しげに鳴る風鈴や、打ち水、簾といった夏の風物で涼をとるのが好きだからだ。それが最近、室内でも熱中症になるらしいと小耳に挟んでからは、時折、除湿をかけたりしている。そのためか、なんかこう、調子が狂ってやる気が出ない。
つい先日、慣れないクーラー生活で逆にぐったりしちゃったので、ちょっと気分転換にと、近所の自販機にコーヒーを買いに出た。やっぱり煮豚級の暑さではあるが、夏の風情が民家のガレージのビニールプールなんかに見えたりして、ほっとしたりする。しばらく散歩して、缶コーヒーを買い、さぁ帰ろうと歩いていると、後方から、
「すいませーん」
とスクーターに乗った女の人に声をかけられた。道でも聞かれるんだろうと振り返る。
「はい」
「えっとー、そばにいる人とかじゃなくて…」
「は?」
「そばにいる人じゃない別のどこかから、声が聞こえてくることってないですか?」
「……」
「……(じっと私を見つめている)」
「……(辺りには蝉の鳴き声が響いている)」
やばい。これは神とか悪魔の声のことを言っている顔だ。そう思った私は、できるだけすまなそうに「な~い」と言って、彼女にはお引き取り頂いた。走り去る彼女を見送りながら、肝を冷やすことしばし。(でも今考えると、やっぱインタビューすりゃ良かったなとちょっと後悔。)
部屋に戻ってすぐ、実家の母に電話。すると彼女は、
「…聞こえるわよ?」
この人もか、と思ってよくよく聞くと、それはデパートとか駅などの人ごみの中ならば、離れた所にいる人の声も聞こえるじゃないか、ということだったのだが、母は論点の違いに気づいていない。
「だったとしても、そんな事を知らない人に聞いたりするのかっつうの」
暑いと皆少しおかしくなるんだろうか。
「あそっか」
幸い母は大丈夫だったようだ。
ところで、ニュースでは近い将来、真夏の気温が四〇度になることもあり得る、なんて言っている。煮豚どころじゃない。チャーシューになってしまう。私が小学生だった二十年前は、三十二度くらいが暑さの上限だったように思う。となると、「こんなに暑いと二ヶ月先には五〇度を越えちゃいますな」なんて古典的な冗談が本当になってしまいそうで怖い。人はバタバタと倒れ、生態系は狂い、陸地は沈み、やがて新種の生物なんかが現れる。でも、そんな未来への危惧なんか、どうでもよくなるくらい暑いので、クーラーをかける。だるくなって、さらにやる気がなくなる。悪循環だ。
閑話休題。
一昨日の午後、やっぱりやる気が出ないので、気分転換にまた散歩に出た。民家の門前の打ち水に、こころなしか涼と趣を感じる。そして缶コーヒーを買って、来た道を戻ろうと歩きだした時、前方から自転車をこぎながらやってくる少年が。やけにゆっくりとしたスピードで、けだるそうだ。前方をうつろな目つきで見据えているその少年は、私とすれ違ったその瞬間、目も合わさずこう言った。
「火星人が攻めてくるぞう」
真夏の炎天下。ミーンミーンと蝉の鳴く声。神と悪魔が囁いて、火星人も攻めてくる。
やる気もなくなるわい。
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